したかどうかもよくわかんないくらいのちっぽけな恋をする。そうして、一丁前に失恋して、また新しい恋をする。未来なんて知らなくて、過去なんて知らなくて、あるのは紛れもない現在だけ。なんにも知らない。目の前で起きてることしかわからない。目の前で起きてることすら、そこにある気持ちとか、ほんのすこし先のじぶんたちの関係とか、なんにも想像できなかったりする。規定よりも短くしたスカートから伸びる細くて白くて滑らかな太腿、膝小僧、ふくらはぎ。ワンポイントが入ったハイソックスと、少しだけ踵の高いローファー。そういう、用意された当たり前に心を砕くことが、わたしたちの精一杯の日常だ。

先輩、こんなとこで何してるんすか?」
「財前、」

 例えば、このちょっと生意気な後輩の両耳に光る、カラフルなピアスとか。衣更えしたばかりの、真っ白なシャツとか。その袖口から伸びた腕にはめられた、ふたつのリストバンドとか。そして、年下のくせに男の子らしくておおきな肉刺だらけの彼の手のひらを想像して、わたしは少しだけ、面映ゆさを感じるのだ。わたしを見とめて、ヘッドホンをずらした財前が目の前に立っていた。見下ろす視線が、意外にも優しくて、なんだかそれがくすぐったい。この間テニスコートの前を通った時、一氏くんと小春ちゃんにからかわれてるの見たよ。財前てば、後輩のくせに、ものすごくうっといって顔してた。けど、ふたりの気持ち、ちょっとだけわかる。

「んー、彼氏、待ってるんよ」

 あ、固まった。かーいらし。と、思ったら、だんだんと眉間に皺が寄っていく。あらら、怒らせちゃった?なんて呑気に考えていたら、「別れた、言うてませんでしたっけ」と、聞こえてきた彼の声が予想していたよりもワントーンもツートーンも低かったので、わたしは咄嗟に怯んでしまった。もしかして、悪戯が過ぎたのかもしれない。失恋したこと、いちばん慰めてくれたの、財前だったのに。まさかより戻したんすか?と聞こえるか聞こえないかくらいの声で彼が言うので、まさか!全力で否定したら、今度は俯いてしまうから、これは困ったことになったとわたしは狼狽える。

「ごめんごめん、じょーだん…、…財前?」
「いーかげんにしてくれや、ほんま」

 なんとかこの空気を打破しなくてはと、努めて明るく誤魔化そうとして、依然俯く彼を覗きこんだら、怒っているとも呆れているともつかない、揺れる瞳とぶつかった。そんな顔させるつもりじゃなかったなんて、今更。聞いたことはあっても、向けられたことの無かった低い声で「アンタの冗談、全然おもんないっすわ」と彼が吐き捨てた。これは駄目だ、と思った時にはもう遅く、リストバンドをはめた左腕が伸びてきて、わたしの無防備に晒された二の腕を掴んだ。

「一週間前、ひとの前で散々泣いたん誰やねん」

 ごめん、と投げようとした言葉はほとんど音にならずに、初夏の風に攫われていった。十五センチ先に確かに存在する彼の体温が、わたしの涙を不器用に拭ったときのそれと重なって。そうしてわたしは気づくのだ。あの時「もう泣かんといて下さい」と、まるで自分の方が泣きそうな顔になりながら苦く笑った、財前の心のなかで燻っていたものの正体に。彼の優しさに甘えて、甘えて、いっときの弱みを見せてしまったけど、この生意気だけれど優しい後輩は、変わらずわたしに接してくれるんだと安堵していた。あの時わたしが甘えたのは、彼の優しさなんかではなかったということもつゆ知らず。
 財前が、きゅっと結んでいた口を開く。

「ひとの気持ち弄ぶんも大概にせんと、痛い目見ますよ?」

 彼の眼は、まっすぐにわたしを捉えていた。逃げ出したかったけど、それはかなわない。だって、気がついてしまった。彼の真剣な瞳の中で、煌々と燃える存在に。知ってしまった。彼を突き動かす、焦がれるほどの感情を。自惚れだって、誰が言える?目の前に横たわるものは、確かに、わたしに向けられているのに。
 わたしのことを睨み続けていた彼の眼が一瞬、不安げに揺れた。少し震えた唇から絞り出された声の切なさに、わたしは、揺らぐ。

「後輩やおもて油断しとるから、こーいうことになんねん」

 そうして、自分の中に疼くものに、名前をつけるのだ。


あの子はしらない


150512......いつか失うために、また恋をする
(back)