春の日差しが煌めいて、人工的な赤を照らした。どこか埃っぽくて、酸化した紙と古びたインクの匂いが満ちるこの場所で、それはとても異質な存在だった。そしてそのことは、どうしようもなくわたしの胸をうった。大勢の中にいても、ひとりでいても、彼を彼たらしめるもの。「異質」が「当然」になること。そんなことを簡単にやってのけてしまう。
 彼の手がわたしのネクタイを掴んだ。やだ。反射的に一歩下がると、彼は不機嫌そうに眉を顰めた。その整った輪郭が、女の子みたいに長い睫毛と大きい瞳が、わたしなんかのどんな挙動にも動かされないその強い視線が。丸井ブン太をつくるすべての造形が、わたしには恐ろしかった。

「やめてよ」

 なんで?と彼は問う。彼は、わたしがその問に答えを持たないことを知っている。ぐっとネクタイを引かれて、いとも簡単に彼の方へとよろけた。生理的にひとつ咳が出る。わたしの命は、彼の手中にあるみたいだ。そんなことはあるわけないのに。ブン太の理不尽に乱暴な仕草に、どうしても逆らえない自分がいる。目を合わせると、もう。

「つーか、こっちのセリフ」

 もう片方の手が指定のベストを着た肩に乗せられて、見かけによらず骨ばった指が痛いくらいの力で食い込んだ。このひとは、加減を知らない、と思う。それとも、わざとなの?彼に掴まれたところが痛くて、熱かった。どうしようもなくなって俯いたら、ふと首にかかっていた力が抜けた。瞬間、今度は顎を持ち上げられて、無理やりに視線を混じらせられる。

「やめてってば、」

 お願い。赤い髪が揺れて、吐息がかかりそうな距離。もう、少しでも何かを発したら、息をするだけでも、彼に噛み付かれてしまいそうな気がした。



 彼のすこしハスキーで高い声を、潜めて、低く囁くように呼ばれると、聞き慣れた名前が一瞬で鮮やかなものになる。おそろしく特別なものになる。だから。やめて、これ以上。いたずらに心をかき混ぜるのは。こんなのは、恋なんかじゃないのに。あなたはわたしのことなんて、これっぽっちも大切じゃないのに。いやいやと首を振るわたしの唇を、指でゆっくりとなぞって、彼はもう我慢ならないという顔をした。

「お前、いい加減にしろよ」

 ブン太の瞳の中に火花が散った様に見えた。そこに、彼の不機嫌が燃えていた。ずるいよ。「誰のものにもしたくない」と、耳元で彼が囁いた。それはとても熱っぽくて、そしてとても残酷だった。その言葉が流れ込んだところから、それが持つ温度に溶かされて、出来ることならそのまま崩れて消えてしまいたかった。なのに、頬に触れた彼の手の感触が確かすぎて、わたしは目を閉じることしか出来ない。そこにある体温だけが、わたしをいまこの場所に生かしているのだと思った。


しなやかな祈り


150403......理不尽と幼いこころ
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