「風が気持ちええなあ」

 そう言って彼は薄く笑った。いつもの、感情の読めない笑顔だった。わたしはそれをとても彼らしい表情だと思っていた。優しく、やさしく、その手を滑らせて。けれど、真ん中に触れそうになると、そっと一歩引いて、薄く笑う。受容も、拒絶もしない。

「全部、タイミングやんな」

 恋愛なんて。ひゅるり。またひとつ風が抜けて、男の人にしては少し長い彼の髪を揺らした。実らなかった恋を、実るはずのなかった恋を、忍足は応援しなかったけど、決して諦めろとも言わなかった。ひとりごとのようなわたしの愚痴を、いつもただ静かに、となりで聞いていた。否定されない安心感に、甘えていたのだと思う。中学生男子には似合わない落ち着いた忍足の相槌は、とても心地良かった。
 けれど、ひとときの片思いというには時間を費やしすぎてしまったわたしのそれは、想い人に彼女ができるというかたちであっけなく終わった。いまの関係を壊したくないと手を拱いているうちに、告白することも出来ず。

「それ、なぐさめてるの」
「そうやなあ」

 忍足はまた、あの感情の読めない笑顔で。そして、思案するように一度目を閉じた。そうして、口元に手を添えてゆっくりと、まるでスクリーンの中のひとみたいにひとつ息をついた。

「けどもっと傷ついたらええのに、とも思とる」

 眼鏡の後ろにある忍足の瞳は、まさに物憂げとでもいった様相でこちらを見ていた。なんでそんな顔するの。様になりすぎてて怖い。わたしの想い人が太陽だとしたら、忍足は月みたいだ、なんて、そんな幼稚な例えがふと頭に浮かんだ。馬鹿みたい。そんなの、どっちも、わたしには眩しくて届かない。
 ひゅるり。吹き抜けた風がさらった髪を、忍足の長い指が掬った。「もうやめたらええのんにて思ってた」そう言って彼は掬ったわたしの髪を柔らかな動作で耳へとかけた。そうするのが至極当然といった風に。いつもと違う優しい笑顔を浮かべた彼は、ちょっと困ったみたいに眉尻を下げてみせる。どこまでも中学生らしからぬ仕草をする、と思った。散々泣いて腫れたまぶたに触れようとして、忍足の指がぴたりと止まる。そして彼はもう一度、さっきみたいなため息を吐いた。

「はじめから、俺にしといたらよかってん」

 目の前で止まっていた指はまぶたには届かず、かわりに手のひらがゆっくりと髪の上を滑った。優しい手、切ない目。忍足の、薄く笑う顔。
 触れられた部分に熱が集まってきたのをどこか他人事みたいに感じながら、わたしはいまこの感情にどんな名前をつけるべきなのか、考えていた。


Never the Hero


150401......いつまでもここにはいられない
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