白く美しい指が古ぼけた本の背表紙を滑る。上から下へ、ゆっくりと題名を辿る。そうして、わたしの知らない誰かが書いたその本は彼に選ばれた。それを脇に抱えて、彼は薄暗い本の森を奥へ奥へと進んで行く。わたしはそっとそのあとへ続く。だいぶ深いところまで来た彼は迷い無く立ち止まり、また同じようにゆっくりと指を動かした。なんだか妬けてしまう。けれどそんなことは言ってはいけない。邪魔をしないように彼の美しい横顔を盗み見るのだ。彼が静かに振り返る。あ、ばれた。

「なにか用か?」

 わかってるくせに、今更そんな風に聞くのだからわたしの恋人は随分と意地が悪い。こんな人目につかないところまで連れてきておいてそれはないんじゃないの。なんて、もちろんそんなことも言わない。精一杯可愛らしく見えるように小首を傾げる。なんでもないよ?そうすると彼はそよ風のような微笑を零して、本当に何にもなかったかのように本棚へと向き直った。また一冊、彼に見初められた本にその指がかかる。いいなあ。わたしもそんな風に触ってもらいたいなあ。蓮二の指がわたしの肌を滑る。確かめるような速度、指先から伝わる温度、焦がされるような感覚。うっとりしちゃう。



 蓮二が振り返って、わたしの名前を呼ぶ。鼓膜をくすぐる低い声。

「いま、やましいことを考えていただろう」

 あれ、ばれてる。薄く開かれた瞼から覗く瞳は、暗く深い森のようだ。うすいくちびるがゆっくりと弧を描いて、堪えきれないようにふっと息が漏れる。長い指が静かに伸びてきて、わたしの唇にそっと触れた。何もかもお見通しなのね。あなたにはきっとわたしの考えていることが手に取るようにわかるのでしょう。だけれど、ちっとも悔しくなんかない。

「やましいことって、なあに」

 わたしのいたずらごころを下らないと笑わず、あなたはそっと思案するような表情をする。確かに甘やかされていると、そう感じる。何一つ後ろめたいことなどなく、わたしは蓮二のその表情を見つめる。今この瞬間、わたしだけに向けられたそれをしっかりと目に焼き付けるのだ。そして、もう一度彼が柔らかく笑うのを見届ける。

「こういうことだ」

 わたしは、蓮二の瞳が悪戯っ子のように光ったのを見逃さなかった。彼のつくる影が落ちる時間の中で、静かに目を閉じる。そうして、共犯者の気持ちで彼の唇を待つのである。


君と逃れた森の中


120702......気が遠くなるほどに美しい
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