二人きりになった部室に、わたしのしゃくり上げる声だけが響いていた。ばつの悪そうな顔をした弦一郎がもう何度目かわからない咳払いをして、きゅっと結ばれていた唇がためらいがちにひらかれてゆく。

「悪かった」

 ふたりの沈黙を裂いた耳に馴染む低い声が呆れた様でなかったのに少し安堵して、それでもなお治まらないこの漠然とした哀しみを胸のうちで持て余している。こんなところで二人きり立ち尽くして、一体何をしているのだろう。
 顔を覆った指先のほんの小さな隙間から、弦一郎の手が空を彷徨うように上がったり下がったりしているのが見えていた。

 −何事にも終わりは来るものだ

 先刻、彼の背中越しに投げられた言葉をもう一度あたまのなかで反芻してみる。すると同時に、目の前に見えていた広くてたくましい大好きなその背中が、遠く遠くに離れていくような感覚も一緒に戻ってきてしまう。どうかしている。なんてことない会話の一端を勝手に拾い上げては、こうしてさめざめ泣いてみせるなんて。わたしはきっと、どうかしている。
 彼がわたしを突き放そうとなんかしないって知っている。あの言葉だって、わたしたちの関係を言っているのではないこともちゃんとわかってる。それでも、かなしくて、かなしくて、どうにもできないの。今日、いま、この瞬間。わたしたちを繋げるもの。いつか切れてしまうの?こんな風に泣き続けることでしか彼の気を引けないのかと思うと嫌になる。ほら、この堅物で生真面目なわたしの恋人は、もうこんなにも困ってしまっているじゃないか。
 視界の片隅で、マメを潰して堅くなった掌がぎゅっと握られる。そして、瞬間、わたしの身体は弦一郎の腕の中にすっぽり収められていた。逞しい腕が、何か壊れ物でも扱うかのように優しく、わたしを包みこんでいる。

「頼む、泣き止んでくれないか」

 お前にそうされると困る。混じりけのないまっすぐな声でそう呟いて、弦一郎はひとつ息を吐いた。ゆっくりと上下したその胸に、理不尽な涙でずきずき痛む頭をそっと預けてみる。こんな駆け引きにもならないような戯れにさえ、あなたはいつだって真剣だ。わたしの様子を窺いながらおそるおそる力の込められていく腕に、引っ込みかけた涙がもう一度のぼって溢れてくる。
 この人はきっと、自分が悪かったのだと思っているのだろう。自分にも他人にも厳しいあなた。どうしてわたしのことだけこんな風に甘やかすの。いつか面倒になって、手を離されてしまうんじゃないかって不安になるよ。

「げんいちろ、」

 わたしの自分勝手など知りもせず、みにくい我儘になんて気づきもせず、彼の腕が思い切りわたしを締め付けるから、絞り出すように呼んだ名前はシャツの胸元に吸い込まれて消えた。くるしいよ。だけど、苦しいだなんて言えないよ。
 そっと顔をあげたら、眉間に皺を寄せたままの弦一郎の目が、まっすぐにわたしを見つめていた。そんな顔しないで。なんて声をかけたらいいのかわからなくなる。自分で試すようなことをしたくせに、おかしいね。切なくて、しんでしまいそう。
 弦一郎が好き。この不器用な人を想う気持ち。それが、十五歳のわたしのすべてだ。
 力なく下がっていたままの両腕を広い背中に回して、とまどう弦一郎をわたしのせいいっぱいで抱きしめた。たいせつなこの恋を、なにものにも代えがたいこの甘い痛みを、二人のあいだに閉じ込めて、決してどこにも逃がさぬように。


ミルク色の涙


120701......その涙は甘い
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