「いい加減、機嫌なおしんしゃい」

 鼓膜をくすぐる甘い声音に、今日こそは許さないという決心がつい揺らぎそうになる。カーディガンのくたびれた袖口から伸びる白くて長い指が頬に触れようとするのをなんとかはたき落とした。「つれないのう」だなんて甘えた声を出す彼が憎らしくて憎らしくて、頭がおかしくなりそうだ。視界の端でプラチナがちらつく。叩かれた手の甲をわざとらしく撫でながら、彼はこちらの様子を伺っている。琥珀色の瞳の中で憮然とした表情をしている自分を一睨みしてから、この不機嫌が伝わりますようにという気持ちを精一杯こめて顔を背けた。すると、先ほど頬を狙った指先が気を引くようにこつこつと机を鳴らす。そうして、至極当然というような調子で隣に置かれたわたしの指先をゆっくりとなぞるものだから、その甘い感触に再びわたしはほだされてしまいそうになるのだ。

「なあ、、聞いとる?」
「知らない」

 知らない、しらない。ほかの女の子のこと、目で追いかけてたくせに、いまさらご機嫌取りだなんてちゃんちゃらおかしい。甘えるような指先をさっと引っ込め、身を乗り出して距離をつめてきた彼は、大げさに眉尻を下げていた。そうしてわざとらしく小首を傾げている。ねえそんなぶりっこしたって、許さないんだから。

「これで許してくれんか?」

 そういって彼が取り出したのはパックのカフェオレだった。二階の自販機で売ってるやつ。たった百円のやつ。甘ったるいやつ。わたしの、大好きなやつ。どこに隠してたの。いつ買って来たの。マジシャンみたいにそれを取り出した彼をちらりと盗み見たら、してやったりと上がる口角を必死に抑えようとしてる風だったのでやっぱりむかついた。

「におくん、こんなので済まそうなんて思わないでよね」

 いつもと違う呼び方でもう一度彼の方を睨みつけたら、やっと本格的に困ったような顔をしていた。ずるい。彼はいつも余裕しゃくしゃくでわたしを手懐ける。的確な距離でわたしが喜ぶ声を使って名前を呼び、的確なタイミングでわたしが喜ぶモノを差し出す。優位に立っていたはずが、いつの間にか掌の上で転がされている。そういう人だ、仁王雅治という人は。もしかしてわたしを怒らせるところから彼の戯曲の中だったりして。

、こっち向いて」

 駄々をこねるような声に、わざとらしく溜息を吐いてそちらを向けば、叱られたこどもみたいな泣きそうな顔。うっすらと膜を張る琥珀色に胸が締め付けられる。泣いちゃえばいいのに。なんて、そんな乱暴なことを思うけれど、口には出さないでおくね。その情けなくて愛おしい顔が、本物でも、偽物でも、なんでもいい。
 ねえ、もっと困って。そうして、好きだと言ってよ。




no longer child


120622......踊らされているのはどっち?
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