「千石、わたしまたやっちゃった…」

 しなしなになったフライドポテトを飲み込んで、彼女はまるでこの世の終わりみたいに大きいため息をついた。午後七時のファーストフード店。トレイに乗せられた、コーラとシェイクとフライドポテト。どちらかの恋の始まりと終わりに決まって開催されるこのミーティングは、この三年間でもう何回目になるんだろう。

「うおっと、マジか。…フラれた?」
「ううん、わたしから別れたいって言ってしまいました…」

 好きだったのになあ、と目尻を下げて困ったように笑う顔。あのさ、すっごく場違いなんだけど。そんなことを、百も承知で正直に言うとね。いまのキミ、人目もはばからずすぐにこの場で抱きしめてしまいたくなるくらいには可愛いよ。



 と俺とは初めて同じクラスになった一年生からの腐れ縁で、ここだけの話初対面からびっくりするくらいに馬が合う存在だった。女の子だいすき惚れっぽい俺と、華やかな恋に恋していた彼女。「千石くんてミカちゃんのこと好きでしょ?」そうやって先に声をかけてきたのはの方だった。そしてその後まもなくして、フラれた俺を慰める会というテイで俺たちは初めて授業をサボることになる。初夏の屋上。ちょっとした背徳感。はっきり言ってこれが月9だったならここで簡単に恋に落ちちゃいそうな二人だったわけなんだけど、現実はまるでそんなこともなく。気づけば俺たちは互いの恋愛を相談し合うだけの戦友という色気の欠片もない何かになっていた。そう、ふたりは幸せを求める戦士。いや、これはちょっとサムイか。メンゴ。
 つまりこの三年間で、俺たちはお互い以外の相手に星の数ほど恋をして、それとおんなじだけの失恋をしてきた。俺たちの恋の始まりはいつもちゃんと純粋だったけど、だからといって特別に鈍感なわけでもなく、カマトトぶるつもりもないので、まわりの奴らが俺らのことをなんて呼んでるかなんてことはとっくに気づいてる。チャラ男と尻軽。誰でもオッケーの節操無し。どーせあの二人ヤってんでしょ?なんともひどい言い草だったけど、俺たちは別に気にしていなかった。お互いにちゃんと好きな人がいて、どうしようもなく悲しいときに励まし合える友達がいる。
 ほら、文句なしの清く正しく美しい青春を送ってるでしょ?



「オレさ、もうさすがに懲りたかも」

 だからしばらく新しい恋はいいかな~と言った俺を見つめたまま、はあからさまに驚いた表情をはりつけていた。目をまあるくして、ポテトを口元にかざした格好で固まっている。「おーいサン?大丈夫?」顔の前で手をひらひら振ったら、今日も今日とて懇切丁寧に仕上げられた上向きの睫毛がようやくパタパタと瞬いた。

「うそ、それまじで言ってる?」
「マジ。大マジ」

 わざとらしく真剣な顔をつくって答えると、がおもむろに俺の額に手を当てた。失礼な。熱なんかないよ。てか、ついてるからね、塩。慌てたが「わ、ごめん」と言って鞄から取り出すのが、ちゃんとウェットティッシュなところ。こういうじゃれ合いをしていると、はたして彼女がいい加減なやつなんだか几帳面なやつなんだかよくわからなくなるんだけど、でもそういうところも好きなんだよなあ、おれ。
 そう、気づいてしまったのだ。アプローチなんてのは数打ちゃ当たる。押して押して押しまくる。まあ、時々引いたりだってできるけど。とにかく、そんな風にいくつ恋をしても失恋をしても、人を見る目も正しい振る舞いも一向に身につかなかった俺にだってついにわかってしまった。ここのところ、彼女が新しく好きになる男と自分を無意識に比べてしまったり、他校のマドンナと付き合えたにもかかわらずデート中に上の空でフラれたりする理由。これは勘違いじゃない。俺はが好きだ。本気で、好きになってしまった。ウェットティッシュで俺の額を拭いている彼女は、ここのところ俺の視線が女の子を追いかけないことにきっと気づいていないだろう。

「だからさ~、ももっとじぶんのこと大切にしなよ」

 ぴたり、時間が止まる。の顔にハテナがいくつも浮かんでいた。わかるよ。じぶんでも何言ってんだって思ってる。

「え、ちょっとなに。すっごいキモチワルイんだけど」
「うっわ、ひど~」
「…だってそんな優等生みたいなセリフはじめて聞いた」

 訝し気な目で俺を睨むの眉間に指のはらをあてて寄せられた皺を伸ばす。ごまかせ俺。「そんな顔してると刻まれちゃうよ~」ちゃんと口をついて出てきた気安い言葉にふたりの間の空気が少し変わった。店内の喧騒がさっと静かになる錯覚がして、この偶然の産物についつい俺は期待する。そんなものしたところで意味ないってわかっているのに。「こんな風にさあ」と彼女がまるで重い口をやっと開けたみたいな調子で呟く。

「しょうもない軽口言い合ったりとか、ぜんぜん上手にならない」
「…うん。わかるよ」
「好きだから気ぃつかってさ、なんでそれに疲れちゃうんだろ」

 きらきらとラメの散らばる瞼が微かに震えていた。それでも、はこの一瞬にうまれてしまった上擦る空気を蹴散らすように完璧な笑顔をつくってみせる。そうやって考えると、と彼女は言った。

「千石といるときがいちばん安心してるかも」

 彼女の笑顔に隙がなければないほど、その言葉にも色がなくなる。だから俺も間違えてしまわないように、軽薄な笑顔を完璧に作り上げなければならない。

「え~、かわいいこと言っちゃって~」
「あ、バカにしてるな?」

 もう一度、今度はふたりの空気がガラリと変わる。こうやってちゃんと乾いていれば、彼女の笑顔も容易くなるのに。次は俺が瞼を震わせる番だった。「いつになったら落ち着けるんだろう」ストロベリーシェイクがストローを内側から淡いピンクに染めていく。短く切り揃えられた爪は、きっと前の男の趣味なのだろう。そんなことにすら気持ちが動いてしまうのに、どうやって隠せばいい?どんな軽口を言えば、俺たちはこの先もずっとこのままでいられるんだよ。
 そんな風にビビってるくせして、とんでもない台詞が喉元から滑り出た。

「じゃあさ、オレとつきあう?」

 はストローを加えたままで俺を見つめている。ああ、デジャヴだ。

「もお、すぐそういう冗談いうじゃん」

 目尻が緩やかに下がる、そこには完璧な微笑みが湛えられていた。冗談なんかじゃねえよって、そんな風に言えたらどんなにいいだろう。それなのに、メンゴメンゴ~ってへらへら笑って誤魔化すしかできないんだよ。喉につかえる燻ぶった想いを薄まったコーラで流し込んで、味のしないフライドポテトを口のなかへと放り込み咀嚼する。
 俺たちは、肩だって組めるしハグだってできる。笑った顔も泣いた顔も怒った顔も何度だって見てきた。一緒に食事することだって、お互いに恋人がいなけりゃデートさえ楽勝だ。それなのに、好きだって、他の誰にも簡単に言える言葉を伝えるだけがこんなに難しい。笑えるよ。今までに感じたことのないくらい、女の子に特別な感情を抱いてる。このぬるま湯にずっと浸かっていたいのに、それ以上に、俺はキミと手を繋いで抱きしめ合ってキスしてそしてセックスしたい。決して共存することの出来ない欲望が正面から激突する。好きだ、すきだすきだすきだ。だからお願い。キミも俺を、おかしいくらいに好きになってよ。
 そして、お前らにもはっきり言っておく。俺たちまだ、ヤってなんかいないから!








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